『語りかける目』の朗読で、命の大切を🌺
1月20日(月) 友引
愛知県長久手市 天候、晴れ、最高気温14℃。 最低気温6℃ |
今日は「二十四節気「大寒(だいかん)」です。二十四節気はその名のとおり24に分かれていて、「立春」に始まり、「大寒」で終わります。大寒は一年で寒さが最も厳しい頃といわれます。しかしながら、最高気温14℃と3月上旬を思わせる暖かい1日でした。 |
さて、本日、体育館で、朝会を行いました。最初に、愛知県読書感想文コンクールの表彰伝達、その後、校長先生の話がありました。校長先生は、30年前に起こった阪神・淡路大震災について、南海トラフ大地震について、『語りかける目』という話をとおして命の大切さについて話をしました。子どもたちは真剣な表情で静かに聞き入っていました。今後30年以内に80%の確率で起こる南海トラフ大地震への備え、そして、自分の命はもちろん、家族、友だち、周りの人たちの命もかけがえのないものであることについて、改めて考える機会になればと思います。 |
『語りかける目』は阪神・淡路大震災で被災した長田署管内で任務についた警察官の手記です。長くなりますが、子どもたちに読んだ全文を以下に掲載します。 |
『語りかける目』
1月23日、私は2回目の出動をした。 任務は長田署管内の救助活動・遺体捜索。仮の遺体安置所になった体育館は、たくさんの遺体と、それに付き添う遺族であふれていた。 そんな中で、一人の少女に、私の目は釘付けになった。その少女は、ひざの前に置いた、焼け焦げた「ナベ」にじっと見入っていた。泣くでもなく、哀しむでもなく、身動きもせず、ただじっと見入っていた。 私は、その少女に引かれるように近寄っていった。「ナベ」の中は、小さな遺骨が置かれていた。少女が拾い集めた母の遺骨だという。 その夜(1月16日)も少女は母に抱かれるように、一階の居間で眠っていた。何が起こったかも分からないまま、気がついた時には母とともに壊れた家の下敷きになって、身動きも出来ない状態になっていた。それでも少女は少しずつ体をずらし、何時間もかけて脱出できた。家の前に立って、何が何だかわからないまま、どの家も倒れているのを見た。多くの人が、何かを叫びながら走り回っているのを見た。 しばらくして、母が家の中に取り残されていることに気がついた。 「おかあさんを助けて」 「助けてお願い」 と走り回っている大人たちに片っ端からしがみつき、声を限りに叫び続けた。だれにもその叫びは聞こえなかった。迫ってくる火事に、母を助けられるのは自分しかいないと、哀しい決断を強いられた。 母を叫び続け、懸命に家具を押しのけ、がれきを放り投げ、一歩一歩母に近づいていった。やっとの思いで、母の手を探し当てた。姿は見えなかった。母の手を見つけたとたん、その手を握りしめた。その時、少女の手は血まみれになっていることに気がついた。 「おかあさん、おかあさん」 「おかあさん」 手を握りしめ、泣きながら叫び続けるだけであった。 火事は間近に迫っていた。火事の音が聞こえ、熱くなってきた。母は懸命に語りかけたが、かぼそい声で少女には聞こえなかった。 「おかあさん、おかあさん」 と叫び続ける少女に、名前を呼ぶ母の声がようやく聞こえた。 「ありがとう。もう逃げなさい」 と、母は握っていた手を放した。 熱かった。怖かった。夢中で逃げた。すぐに、母を抱え込んだまま、わが家が燃えだした。立ち尽くし、燃えさかるわが家をいつまでも見続けた。声も出なかった。涙も出なかった。 翌日、何をしたか、どこにいたか、覚えていない。 翌々日、少女は一人で母を捜し求めた。そして見つけだした。 少女は、いま一人で、見つけだした母を「ナベ」に入れ、守り続けている。 「この少女に神の加護がありますように」生まれて初めて神に祈った。 少女の目は今も私に語り続けている。 目は生きていた。 哀しいと思った。 美しいと思った。 強いと思った。 少女の名前を聞くのさえ忘れていた。 『明日に生きる 阪神・淡路大震災から学ぶ』より |
価値ある学びのメッセージ
朝は希望に起き 昼は努力に生き 夜は感謝に眠る
このような1日を過ごしたいですね。 |